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社長インタビュー

株式会社シティネット 代表取締役 毛利昌彦
大学卒業後、霞ヶ関の官庁街で公務員生活を送っていたが、紆余曲折の上、不動産業界に身を投じる。その後、独立して不動産コンサルティング仲介の株式会社シティネットを起業。一躍、横浜市内全域で名が売れ始め、4年目には都内に進出を果たす。2010年で創業10周年を迎えた、代表取締役「毛利昌彦」氏にこれまでとこれからを語ってもらった。

1.霞ヶ関の公務員。退省したその理由とは。

ブログの題名にもなっていますが、公務員から不動産会社を起業したという異色の経歴をお持ちですね?起業するまでの経緯をお聞かせください。公務員を懲戒にでもなったのですか?

「・・・・・」

じょ、冗談です。よろしくお願いいたします。

私の社会人としてのスタートは公務員から始まり、そこで在職した約6年間のうち大半は霞ヶ関にある旧○○省に勤務していました。主な仕事の内容は国会や予算委員会(よく某国営放送で中継しているやつです)の原稿の清書やコピー、または議員の先生への質問取りなどの雑用でした。 出世競争がない世界でしたので当然かもしれませんが、上司や同僚など周りは良い人ばかりでしたし、良いこともたくさんありましたが、だんだん霞が関に慣れていくうち、
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・完全な受け身の仕事。(でも、待機してなければならず家には帰れない)
・年功序列制のため、自分の将来が見えてしまった。(天下りは無くなったようですが・・・)
・霞が関というある意味特殊な環境の中で、一般の社会常識が薄れていく気がした。
・税金の使いみちに疑問(罪悪感)を感じてしまった。

これらに疑問が生じてしまい、居ても経ってもいられずノープランで退省したのです。※これらはあくまで当時、私が在籍していた部署での話であるとともに、私が個人的に感じたことであり、決して公務員という職業を否定するものではありません。

その後、何のあてもコネも無かったので、就職情報誌を頼りにリゾート開発の会社に就職しました。この時期ちょうどバブル景気が到来し、入社当時は軽井沢や伊豆で別荘やリゾート会員権を販売する数十人程度の小さな会社だったのですが、バブルの恩恵?を受け数年で海外進出、テレビCM、移動はヘリコプターというような典型的なバブル企業として千人規模の会社に急成長しました。

私はこの会社で営業事務や企画に携わっていたのですが、バブルの崩壊とともに一気に経営危機となり、最後の方は社員も数人となり、給料ももらえない状態に陥ってしまいました。しかし私は会社や入社した当時の上司に恩義を感じていたこともあり、最後まで見届けようと会社に残りました。そんな状況下だったので、しばらくは昼間会社の残務処理を行い、夜中に水道工事のアルバイトをしながらなんとか生活していました。当時、すでに30歳間近だったのですが、今から思えば独身で家族がいなかったからこんな生活ができたのでしょうね。

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